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近藤 基弥 :

名古屋出身、Motimaru Dance Companyの共同創設者。
2005年から大野慶人に師事し、2010年以降、日本、インド、ネパール、バリ、スペインなどの伝統舞踊のフィールドワークを開始し、バリ舞踊をアグン・アノム・プトラ、イ・マデ・ジマット、イダ・バグース・オカ・ウィルジャナに学び、東西の身体表現の普遍的な方法論を探求。

また、2008年からは東洋における内観技法を研究、実践し、特にチベットの伝統と深く関わりながら、現代芸術と古代の智慧を横断しながら創造および指導活動を行う。

2010年ヴェネツィア・ビエンナーレ、第9回国際振付コンクール「NoBallet」、2016年国際ダンスフェスティバル「Lucky Trimmer」、ヒルデスハイム大学、ライプツィヒ大学、ハッセルト大学、ケルン・メディアアートアカデミーなど、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア各地45都市以上で公演・指導を行う。

「芸術や舞台について考える事は、即ち人生を根源的に問う事だと思います。

私たちの生と死における最も切実な願いとは何なのでしょうか?この問いは、必然的に存在の霊性というテーマに行き着きます。

ここで言う「霊性」とは、私たちが本来は何者であり、そして万物がどのように存在しているのか、その真実を探求することです。

私は、芸術や舞台もこの根源的な問いに奉仕するものであるべきだと信じています。

コンセプト、感情、感覚、身体性、潜在意識、あるいは社会的、政治的な問いかけ。
これら全てが、人生や芸術、そして舞台において重要な側面です。

しかし、それらが生じる大元の深い源を探ることなしに、私たちは本当にそれらを理解できるのでしょうか。

現代においては、ビッグバンから宇宙が始まり、やがて何かしらの有機体が生まれ、最終的に意識が芽生えたと一般的には考えられるかもしれません。

しかし、もしその逆が真実だったとしたらどうでしょうか。

まず原初に意識があり、その意識の場でビッグバンが、宇宙や社会が舞踏しているのだとしたら…

舞台において形や動きの背後にあるものを見つめ、音の背後に耳を澄ませば、空間や沈黙の佇まいが息づいているのを感じるかもしれません。

この空間や沈黙の気配の本質は一体何なのでしょうか?

 

古池や
蛙飛びこむ
水の音
— 松尾芭蕉

 

芸術や舞台が存在の真実を全身全霊で探究する場となることを心から願って…」

butoh

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